P--1369 P--1370 P--1371 #1一念多念分別事    一念多念分別事                              隆寛律師作 【1】 念仏の行につきて、一念・多念のあらそひ、このごろさかりにきこゆ。 これはきはめたる大事なり、よくよくつつしむべし。一念をたてて多念をきら ひ、多念をたてて一念をそしる、ともに本願のむねにそむき、善導のをしへを わすれたり。 【2】 多念はすなはち一念のつもりなり。そのゆゑは、人のいのちは日々に今日 やかぎりとおもひ、時々にただいまやをはりとおもふべし。無常のさかひは生 れてあだなるかりのすみかなれば、風のまへのともしびをみても、草のうへの 露によそへても、息のとどまり、いのちのたえんことは、賢きも愚かなるも一 人としてのがるべきかたなし。このゆゑに、ただいまにてもまなこ閉ぢはつる ものならば、弥陀の本願にすくはれて極楽浄土へ迎へられたてまつらんとおも ひて、南無阿弥陀仏ととなふることは、一念無上の功徳をたのみ、一念広大の P--1372 利益を仰ぐゆゑなり。 【3】 しかるに、いのち延びゆくままには、この一念が二念、三念となりゆく、 この一念かやうにかさなりつもれば、一時にもなり二時にもなり、一日にも二 日にも、一月にも二月にもなり、一年にも二年にもなり、十年、二十年にも八 十年にもなりゆくことにてあれば、いかにして今日まで生きたるやらん、ただ いまやこの世のをはりにてもあらんとおもふべきことわりが、一定したる身の ありさまなるによりて、善導は、「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」(礼 讃)とねがはしめて、念々にわすれず、念々に怠らず、まさしく往生せんずる ときまで念仏すべきよしを、ねんごろにすすめさせたまひたるなり。 【4】 すでに一念をはなれたる多念もなく、多念をはなれたる一念もなきもの を、ひとへに多念にてあるべしと定むるものならば、『無量寿経』(下)のなか に、あるいは「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼 国 即得往生 住不退転」と説き、あるいは「乃至一念 念於彼仏 亦得往 生」とあかし、あるいは「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此 人 為得大利 則是具足 無上功徳」と、たしかにをしへさせたまひたり。善 P--1373 導和尚も『経』(大経)のこころによりて、「歓喜至一念皆当得生彼」(礼讃) とも、「十声一声一念等定得往生」(同・意)とも定めさせたまひたるを、 用ゐざらんにすぎたる浄土の教のあだやは候ふべき。 【5】 かくいへばとて、ひとへに一念往生をたてて、多念はひがことといふもの ならば、本願の文の「乃至十念」を用ゐず、『阿弥陀経』の「一日乃至七日」 の称名はそぞろごとになしはてんずるか。これらの経によりて善導和尚も、 あるいは「一心専念弥陀名号 行住座臥不問時節久近 念々不捨者是名正 定之業 順彼仏願故」(散善義)と定めおき、あるいは「誓畢此生無有退転 唯 以浄土為期」(同)とをしへて、無間長時に修すべしとすすめたまひたるをば、 しかしながらひがことになしはてんずるか。浄土門に入りて、善導のねんごろ のをしへをやぶりもそむきもせんずるは、異学・別解の人にはまさりたるあだ にて、ながく三塗の巣守としてうかぶ世もあるべからず、こころうきことなり。 【6】 これによりて、あるいは「上尽一形下至十念三念五念仏来迎 直為弥陀 弘誓重 致使凡夫念即生」(法事讃・下)と、あるいは「今信知弥陀本弘誓願 及称名号下至十声一声等定得往生 乃至一念無有疑心」(礼讃)と、ある P--1374 いは「若七日及一日下至十声乃至一声一念等 必得往生」(礼讃)といへり。 かやうにこそは仰せられて候へ。 【7】 これらの文は、たしかに一念・多念なかあしかるべからず。ただ弥陀の 願をたのみはじめてん人は、いのちをかぎりとし、往生を期として念仏すべし とをしへさせたまひたるなり。ゆめゆめ偏執すべからざることなり。こころの 底をばおもふやうに申しあらはし候はねども、これにてこころえさせたまふべ きなり。 【8】 おほよそ一念の執かたく、多念のおもひこはき人々は、かならずをはり のわるきにて、いづれもいづれも本願にそむきたるゆゑなりといふことは、お しはからはせたまふべし。さればかへすがへすも、多念すなはち一念なり、一 念すなはち多念なりといふことわりをみだるまじきなり。   南無阿弥陀仏 [本にいはく、]    [建長七乙卯四月二十三日 愚禿釈善信八十三歳これを書写す。]